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2020/10/16 23:33
皆さんこんにちは!
いかがお過ごしでしょうか?
今日は少し長くなりますが、新作紹介と、日々想うあれこれを綴りました。
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
地球全体の流れを俯瞰してみると、誰に対してもいろんな変化が訪れている時期で、
身体と心のバランスを崩してしまってる方も少なくないかなと思います。
私も体調は悪くないですが、
世の中への疑問や、自分の思考と行いが本当に一致しているのかと感じる矛盾を、
見て見ぬ振りが出来なかったり、心が騒つく毎日でした。
きっと地球や、自然が何かメッセージを発してるのかも。
私はスピリチュアルな人ではないので、
ただただ自分の身体で触れる土や、自然の様子、気候、風の便りをベースに感じているだけですが、
今まで通りの生き方を続けてしまうと、本当にほんの少し先の未来には、
私が生きたい世界は存在しなくなってしまうと思うのです。
いつもMaktubの天然石を選んでくれる人、
その理由はきっと、
大量生産につまらなさを感じ、丁寧に仕上げられた一点物を探してる人や、
石がどこから来て誰の手を経てここにあるのかを大切にしてる人や、
環境に配慮した選択を重ねながら生き方をしてる人、
様々なこだわりを持って石選びをされている方がMaktubの天然石を選んでくれていると思っています。
私自身も、そういう想いで石を選んでくれている方に届けたいという強い想いで天然石を取り扱わせていただいています。
だけどもちろんどんなに志しを持って石を取り扱う中でも、感じる疑問は日々増えていくばかりです。
石と関わる仕事をする為に、
世界中を飛び回る事や人間社会で消費するお金の為に、
自然が削られていく事実は、いくら自然を愛してると言ったって変わらない事実な事。
天然石は「大地の恵」「地球からの贈り物」だなんて表現して、
そんな言葉は都合良く人間が思ってるだけかもしれないと思ったりするわけです。
天然石採掘は、木や植物が生きている大地や、先住の生き物がいる土地を掘り起こすわけで、
犠牲をださずに砂漠の真ん中に落ちてる石を拾って流通してるような石はとても少ないですよね。
例えば、植物は種子を途絶えさす事なく在り続けられますが、
石は採掘して環境が変われば成長もしなければ増え続ける事もしないので、
採掘され続けて枯れた採掘場には、乾いた土だけが残る場合がほとんどです。
今までの人類の発達、科学の進歩の為には、必ず自然の資源を必要としてきたと思います。
商売として、マテリアルとして石を扱うと決めて仕事をしてる人にとっては鬱陶しい話かもしれないし、
簡単に出る答えじゃないのですが、
私は自然にも自分にもストレスをかけない「生き方」の探究に重きを置いてます。
そのポリシーの元、今この疑問に真に向き合っていきたいと思うのです。
自然を愛することと、自然のものを身に付けることとは、似てるようで全く相異なるという事を今更ながらハッと気づき、
自然のものを身に付けるのももちろん好き。
それは私の肌も心も喜ぶから。
だけど、
自然を愛するが故に自然を大切にしたいと思うと、
自然のものを身に付けることや、自然のものを商売にする事は、自然を搾取してしまっているのではないかと思いました。
私は自然を守る側の事がもっとしたいのかなと思いました。
つまり、何が言いたいかというと、
自然に対して、
自分の手で森を拓き、土を掘り起こし、ありのままの美しい自然を壊してまで自分の手で石が掘れるなら、覚悟を持って石を取り扱えると思う。
だけど、その部分が自分のポリシーに反する部分ならば、
天然石を取り扱う事を考えるべきなのかもしれない。
とも、思うのです。
だけど、これからもスキルアップしていきたいと思っていた気持ちや、
今まで一生懸命沢山の産地に足を運び、厳選した天然石をご紹介するために過ごしてきた自分の行いに対して、否定はしたくない。
それにいろんな考えの人がいるわけで、この仕事自体を否定するような思いも全くないです。
ただただ私の想い。
横に置いておけない今の疑問。
自然を壊すことなく天然石と関わっていく方法を、
しっかりと考えて行きたいなぁと思います。
自分も地球から生まれた事を忘れずに、
もっと、もっとよーく考えて、学んで、知って、変えて、
良くしていきたいと思う自分の本能を大切に育み続けて生きていきたいです。
愛する母、地球の為に。
自分の心の為に。
そこで、
私は自然の事、正直なところよく分かっているわけじゃないわけで、
思い込みや先入観も沢山あると思います。
だから、自分の感覚、感性で自然のことをもっとよく知りたいし、本当の意味で大切にするとはどういう事なのか学びたいと思いました。
そんな事を考えていたら、
所有する5ヘクタール程の広さの森を使っていいよと、お友達ファミリーが言ってくれたんです。
その方はその森を40年近く、森の保護のために所有しているそうで、
昔は辺り一面その森が続いていたのに、今では彼の守ってきた土地だけ森のまま残り、
森の周りと森の中は別世界になっています。
外は排気ガスを音を立てて出しながら走るトラックや車の音が絶え間ないのですが、
その森の中に入ると、鳥達の泣き声や、川の音で、外の音はほとんど聞こえません。
だけど、その小さな森の中に流れる川や滝は、昔は水浴びをしたり出来たそうですが、
今は明らかに上流から流れてくる水は濁っていて、
水質調査をしたわけじゃないので詳細はわからないけれど、
汚水がそのまま流れてきていたり、ケミカルな洗剤を使って上流で洗濯をしてるのは目に見えてわかる現状でした。
帰り道、上流の方で、何箇所か家の脇に流れる川で洗濯をしてる先住民の方達が居るのを見かけました。
きっとなぜケミカルの洗剤を川で使ってはいけないのか知らないでずっと使い続けてしまってるのかもしれないなと思いました。
そして、雨季の豪雨とともに上流や周りの村から流れ着いたプラスチックゴミの多さにはただただびっくりしました。
美しい自然の中で異様な光景ですが、きっとここだけの問題ではないですよね。
なので色々出来る事から取り組んでいきたい。
「自然を愛し、守り、共存する」
これを精一杯出来る環境が目の前に現れて、
先の事は分からないけれど、今、あきおくんと共に喜んでいます。
目一杯その残された自然を大切にしよう。
森の守り人となった時、
私は一体何を作りたくなって、何を使いたくなって、誰に何を届けたいと思うのだろう?
そんな自分の一面に会うのがとても楽しみ。
来年の2月前後から移動予定です。
どんな時でもMaktubですね。
「在る物を喜び、溢れたものを分け合う」
そのコンセプトを軸に生きている中で、
私なりのペース、
それは決して早くはないペースで、
どんな着地点が待ってるのかも想像も出来ませんが、
目を逸らさないように私らしく目の前の問題に取り組みながら、
そこで出逢う新しい自分の一面と共に、これからも作品を育てて行けたらいいなぁと思います。
ありのままの自然を想い、月に祈りを届けながら作った今月の新作6点がもうすぐ掲載となります。
先月、近所で巨木が倒れて停電していた6日間、いつもより何倍も長く感じる夜の時間、
お月さんの優しい光だけを頼りにペンを走らせたラフ画を丁寧に太陽の明かりの元、形に仕上げました。
願いでも頼みでもない。
祈りは、愛と同じ。
倒れた巨木以外にも危険そうだと判断された沢山の木が切られて、木が鳴く声がしたその夜、
人間にとって都合の良い選択ばかりの社会の中で暮らしてる自分に何も言葉が出なくて苦しかった。
そしてただただ祈りました。
万物が幸せでありますようにと。
そしてただただ手を動かしました。
この祈りが届きますようにと。
それから3週間が過ぎてインターネットがいまだ家に戻らず、
今までとっても近かった世界が、とても遠くに感じます。
我が家はケータイの電波も入らないので、
いま家に居ると、外からのコンタクトが全くありません。
もちろん、うちからもコンタクト出来ませんが。
だけどちゃんと私達はいま私達の世界にいて、
ようするに世界は一つじゃなくて、
目の前に居る人を毎瞬大切に過ごす事で、
愛ある時間が常に目の前に流れてるもんだっていう大切な事を思い出しました。
インターネットで繋がる世界だけが唯一の世界じゃない。
情報に左右されずブレない自分軸をしっかり持つのじゃ。
と、神様か誰かからの声が届いてきました。
こちらの作品は、そんな自分軸をイメージしながら作った5連石ペンダント。
うちにある1番グレードの良いピースの中から選んだとっておきのプレシャスオパール。
誇りを持って裸の姿で輝く一粒一粒。
青く瞬く美しい閃光を放つムーンストーンが想いを繋ぐ。
そんな想いで制作しました。
太陽光の元とこんなにも表情の違う瞬き方。
吸い込まれるようなムーンストーンです。
新作6点10月25日ごろ掲載となります。
どうぞよろしくお願いします。
それでは長くなってしまいましたが最後までお付き合い頂きありがとうございました。
Maktub